ミルクパン

この小さな鍋は、社会に出て最初に勤めた職場を去るとき、同僚がみんなで贈ってくれたもの。私がはじめて手に入れた台所道具である。昭和から平成になり、欧米のライフスタイルを紹介する輸入生活雑貨の店などが次々オープンしていた頃だが、これは日本製。イギリスのデザインによく見られるシンプルなツートーンカラー、ホウロウ引きの素朴で愛らしいたたずまいは、使い込むうちにツヤと陰影を帯びて、ますますいい感じ。

直径12cm。注ぎ口が左右にあり、利き手でお湯やミルクを注ぐのはもちろん、根菜や麺をゆでたり、ジャムも煮れば、水餃子、湯豆腐などなど八面六臂の大活躍。小さくて熱の回りがよく、一人分の調理にうってつけなのである。体調がすぐれず食欲がないときも、この鍋さえ手に取れば、すぐできるんだから食べようよと励まされ、温かいものをつくり口にしたことで持ち直したことが何度もある。

毎朝、目覚めると、必ずこの鍋で湯を沸かし白湯を飲む。その時、誰もがひたむきだったあの頃にほんの少し思いを馳せ、今の自分がその延長線上にあることを確かめられるのも、この鍋があればこそ。近年は「断捨離」だ「ミニマリズム」だとモノを持たないことをよしとする風潮があるが、私は道具を持ち、使い続けることのよさや楽しさを見つけて大切にしていきたいと思う。

池田 久美子,2016.12,vol.137

シェアする