「情愛」の機微を宿す簪(かんざし)の妙

簪のアタマに「耳かき」が付くようになったのは、江戸期・享保年間 (1716~37年)だったようだ(享保頃ヨリカンザシト名付ル物、上耳カキ、下髪カキ、銀ニテ作ル・加藤曳尾庵『我衣』/1820年代の風聞記)。

それは、江戸幕府の野暮の極み=奢侈禁止令に対する飾り職人と町娘たちの抵抗だった。「これは簪ではござりませぬ。ほれ、このとおり耳かきではありませぬか」

実際、簪は耳かきとしても立派に役立った。愛しい男を膝枕、そのアタマで耳をホジホジ。そして、簪のもうひとつの実用性は、そう! 落花狼藉、手篭めにしようとする男の目に切っ先をグサリ!

1本の棒磁石が先端にN極・S極という正反対の引力(または、斥力)をもつように、1本の簪には「愛情」「憎悪」という相反する情愛を表出する機能が同時に宿されているのだ。
耳かきは「愛」、切っ先は「憎」。

ふられ男の詠める。膝枕 耳をくすぐる睦言も 一夜明ければ切っ先の向く……。

Photo by Tabute Murase

村瀬 春樹,2007.03,vol.024

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