ブックカバーになった包装紙
ブックカバーに丁寧に掛けられた包装紙は、Aさんから当館に寄贈された雑誌に掛けられていた。雑誌は「私のきもの」という季刊の洋裁雑誌で戦後いち早く発刊されて注目を浴びたものだ。1957(昭和31)年~1965(昭和40)年の9年間に蓄積された、ほぼ揃いの50冊で、ブックカバーになった包装紙も50枚となる。包装紙の内容は、百貨店、京都駅にあった観光デパートのもの、本屋、郷里の和菓子屋、花王石鹸・森永キャラメルの包装紙など。Aさんの生活拠点や活動場所であった奈良市・京都市・大阪市など、主に関西のものだ。
転用の様子は、角が折紙同様きっちりと畳まれ、本の表紙に無理なく沿い、さらに簡単には外れない、極めて精緻である。この方法は、Aさんが国民学校の時に使われた国定許可書(全国一律で有償)を、すぐ下の弟に綺麗なまま使わせるため、母上が貯めていた包装紙を丁寧にかけたことに由来する。Aさんは、「私のきもの」を購読するようになって、躊躇いなく、この方法を取り入れた。母上は女学校時代にこの方法をマスターされたという。包装紙を貯めておくことは嗜みでもあった。こうしたブックカバーは、100年近く前の1920年頃からあったのだ。包装紙自体にも興味深い歴史が読み取れるが、ここでは紙幅の関係で省略する。
さらに包むことは、単に実用に留まらない効果を生み出す。室町期に遡る「小笠原流折形」などは包と包み方がコミュニケーションツールとして作法になった。戦前期には教育に取り入れられたことも付け加えたい。
横川 公子,2024,vol.193