「撫で牛」の眼差し―辛丑(かのとうし)の年頭に
学問の神様として有名な「菅原道真」は、共に丑年の承和12(西暦845)年に生まれ延喜3(西暦903)年に没する。そしてその遺骸が牛の背に乗せられ運ばれる途中、牛が座り込んで、どうしても動かなくなった処が有った。その道中を任せられていた弟子の「安行」は道真公の遺志と考え、そこを墓地と定めた。それが現在の「太宰府天満宮」である。「天満宮」は、そもそも道真の神号「天満大自在天神」を由来に建立され、俗に「天神さま」と呼ばれ親しまれ、今では全国各地に数多く存在する。そしてその多くには道真に縁の深い「撫で牛」が優しい眼差しを放っているのだ。いつの世にあっても人の悩みや苦しみ、望みや想いは果てし無いもの。しかしそこには常に人に寄り添ってくれる道具達が有る。写真は、東京「湯島天満宮」の「撫で牛」。その優しい眼差しの奥には、祈り願う人々への慈愛の念が込められているようだ。新年にあたり、本来の作法「素手で撫でて願掛け」が出来る日を願って、コロナ禍の速やかな終息を祈りたいものである。
藤本 清春,2021.01,vol.165