ある精神科医のかたみ

東京の大学病院精神科に勤めていた女医さんのキッチン用具である。
たまの休日には、北信濃に住む年老いたご両親のために、東京から食材を運び、毎日の献立のみならず、つくり置きもしていた。
職場での信望はあつく、わが身をなげうって患者のわがままにも、とことんつきあった。その結果、といえようか……、疲れを感じたときにはすでに手遅れ、末期のがんと診断された。それでも、自分のことより患者やまわりへの気づかいを優先した。
両親の住まいに遺された、いまは使われることのなくなった調理用具を、ひとつぶんお預かりした。
磨かれ、整然と収納されたごく普通の道具たち。しかし、そこには山とヴァイオリンを愛し、過酷な職場環境にも毅然と対峙した女医の生きざまが宿っているように思えてならない。

( vol.152 磯貝 恵三 2019/07)

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