商品の姿 vs 道具の形

山口版 道具楽悦醒(どうぐがくエッセイ)(その1)

会員の皆さん! 会員になったら編集委員に成らんと損ですよ、編集会議で次々湧き出す四方山(よもやま)話がオモロイんだから、と先ずは宣伝。例えばこの悦醒(エッセイ)ネタは筆者の四方山大弁舌から。

「新設の総合学際学:道具学会が唱(うた)い出した“道具”とは、人類が身体の外に造り出したすべての人造物をいう。ところがここ200年、産業革命以降すべての人造物は商品の姿をとって製造され流通・消費されることに」。

そして私は極(きわ)めつける「商品はもとより道具のひとつの姿、ではあるが、その多くが道具本来の形を奇形化し、これが近現代文化をヒドク歪めてはいまいか?!」-なぁんでそんなベラボーな話もち出すのヨ、と編集委員たち総批判。そこで私、ズボンのポケットからレンズを取り出す。「電車の中や山道で老眼鏡じゃ間に合わんで取り出すレンズ、裸のレンズだけじゃ商品(うりもん)にならんので把手や縁(へり)を付け廻している。余計な商品性を剥(は)ぎ取って、道具に戻さんとズボンのポッケにすべり込まん」。

山口 昌伴,2011.03,vol.072

シェアする