江戸時代、秤は経済活動の要の道具として、幕府によって厳重に管理され、秤座を設けて統制されていた。江戸秤座は、守随家が特許を受けて東国33ヶ国を、京都秤座は神家で西国33ヶ国を支配していた。

本品は携帯可能な小型の棹秤である。分銅の重さから10匁(37.5g)~30匁(112.5g)程度の計量が可能である。用途としては当時、非常時用として蓄えられていた貨幣に替わる金・銀の小粒などの取り引きに使用されていたと推測される。

上下二つ割りひょうたん型のケースは、桧材を使用し、下部に棹・皿・分銅を収納できる。先端をハト目金具でつなぎ、太さが変化する首部に、鹿革の輪を取り付け、この輪を移動させることで、ハト目金具を中心に回転させてケースを開閉する。弾力性に富む鹿革によって、密閉度は非常に高い優れものである。皿と分銅にある神長四郎の刻印から京都秤座によるもので、ケースの墨書安永六酉から1777年製であることがわかる。

真田 日呂史,2010.04,vol.061

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