日本初の「自動耕耘機」
明治生れの技術者・小田吾一(1883~1963)は、大正14年(1925)の「自動耕墾機」に続き、昭和6年(1931)には日本初の「自動耕耘(こううん)機」の特許を取得した。
耕墾機の発明は、1920年、豪国のハワードが内燃機関付自動耕耘機の特許を取得した5年後である。ハワード型は日本に1920年頃から導入され始め、セイレイ工業(現ヤンマーグループ)がスイスのシマー社の技術を基に、国産初の耕耘機を設計したのが小田の発明と同年の1931年と言われる。
小田は京都大学工学部を卒業後、深川造船所で技師長を務め、退職後、福岡県久留米を根城に活動した。こうした発明は、船舶用ピストンやボイラー等の研究の中で生まれたが、独立後は大学時代の親友で、後にダイハツ社長となる竹崎瑞夫氏や久保田鉄工所の久保田氏等と行動を共にした。その後、友人達は関西、関東に上り成功を収めたが、小田は久留米に拘り続けた。写真の耕耘機も自身は当時の先端という自信があったが、世に広まることなく消滅した。
参考文献:『ヲダメタル~小田吾一の軌跡~』
写真:日本初の「自動耕耘機」を印刷した銅版付木台(60×90×15mm)
吉田 隆,2009.08,vol.053