縫い針の行方

縫い針は長く京針が銘品。明治に始まる工業化で、当時の電力事情から生産地を広島に移動。20数年前の広島は、縫い針の世界市場80%を誇る生産輸出地であった。しかし40社余のメーカーは現在1社を残すのみ。生産拠点は中国に移り、コンビニ商品の縫い針セットは、もはやほとんど中国製だ。

かつての畳針や帆布針など、職人の手仕事に要した専用針をはじめ、家庭で針を手にする機会も激減した。JIS規格で200種を超えていた手縫い針市場は、まさに質量ともに急速変革の近年であった。

和物仕立ては直線縫いが基本、折れても曲がらぬ鋼が求められ、針穴を残さぬよう錐あけ丸糸穴が伝統であった。工業化に西洋針の平打ち穴は効率よいが、針頭は幅広で目立ち、絹物や薄物仕立てには不向きで、京都の仕立て屋さんや伝統小物作り職人の多くは昔の針の買い置きで凌いでいると聞く。

針は神話も残す原初的道具の一つ。ここにも伝統を見直す人と道具、そして技術革新の課題がある。

野口 瑠璃,2005.10,vol.007

シェアする