minep.png峯郁郎

 子供の頃、楽器のライブ演奏に初めて遭遇したのは父親のハモニカだったかもしれない。ヤマハ製(蝶印)の楽器で、一人で伴奏をしながらメロディーも奏でる高度?な演奏だったと記憶している。演目は決まって軍艦マーチ、戦場には行かなかった父だが、訓練時にはハモニカが癒しの道具だった・・・というような事をよく話していた。
次の楽器との出会いはモダンな伯父の家にあったウクレレやギター、我流で弾いて遊んでいた記憶が今でも鮮明だ。当時、しだいに楽器という「道具」の魅力に目覚めていくことになる。小学生の頃は毎日学校でも家でもリコーダーを手離さなかった。音楽の教科書、映画音楽、TVのみんなのうた等、次々とレパートリーを増やしたものだった。そんな頃、4歳上の兄が当時流行り始めていたフォークギターを買って来た。ここでリコーダーにはできない決定的なギターの魅力にショックを受けることになる。ギターは伴奏しながら歌うことが出来る!吹奏楽器のリコーダーには絶対できない芸当だった。早速兄のギターをこっそり弾いて練習することになった。中学、高校とギターを弾き続け、作曲の真似事も始め、高校主催のクラスソングコンテストで自作曲が1番になったりし、軽音楽部の部長も務めた。
 芸術大学を経てヤマハにデザイナーとして就職、大好きな音楽や楽器と暮らしながら仕事ができる幸せな環境を手に入れることができた。楽器という道具はいろいろな事を教えてくれた気がする。演奏者が主で楽器は従、でも一体となって機能する。人中心のデザイン、プレイヤーが愛用することで引き出される力、魅力、演奏者と一体になることで価値が決まり、その価値は時間を経て向上する。古くなって価値が下がるモノも多い中、楽器という道具はむしろ時間経過で価値が増す。人とモノとの関係、音が出ることもあって、取り巻く環境との調和等、デザインという社会的な行為を行なう上で楽器が教えてくれた事の大きさに感謝しながら、今日も学生たちにそんな話をしている。
 道具学会と出会ってからは更に世界が広がり、会員の方々の身の回りの愛すべき道具たちへの深い愛情と考察に刺激を受ける日々が続いている。すばらしい先輩と仲間達。

県立静岡文化芸術大学デザイン学部でプロダクトデザイン、デザインマーケティング等を担当。130年近い歴史を持つ楽器のヤマハで33年に亘り楽器や家具、スポーツ用品のデザイン開発を担当し、2012年4月より現職。音楽と美術をこよなく愛する関西人、
1955年大阪市生まれ。2006年より地元浜松の合唱団に所属し、毎年年末は浜松最大のホールでベートーヴェンの第九を歌う。

(2014/09)